知覧の旅
新緑の中、さわやかな風が吹く季節となりました。
先月、鹿児島県霧島市倫理法人会の倫理経営講演会へ行って参りました。
翌日、レンタカーで、知覧飛行場跡地の中にある知覧特攻平和会館へ行って参りました。
大東亜戦争末期に、爆弾を抱えたまま戦闘機で敵艦へ突っ込む「必死」の作戦であった特攻隊の方々の遺品や、手紙が展示されていました。
特攻作戦は、昭和20年3月27日から7月にかけ、九州各地、沖縄本土周辺の島、台湾の空港から毎日のように飛び立ち、およそ1400名の若者が特攻作戦で戦死しました。
その多くが知覧から飛び立ちました。
年齢は17~20歳ほどの方々が多くいらっしゃいました。
多くの遺品、手紙の展示の中、数名の方が取り上げられて展示されていました。
そのお一人に菊川市出身の袴田治夫氏の展示がありました。
昭和20年5月4日18歳で特攻隊として戦死されていました。
遺書となる手紙は、立派な文面であることと、筆文字で達筆に書かれており、当時の教育と、それに対する生徒の向き合い方、そして、親、兄弟、妻、子供に対する思いに、日本の文化、民度の素晴らしさを感じました。
会館から外へ出て戦争遺跡を歩きながら周りました。雲一つないきれいな青空、新緑の黄緑が映える山並み、さわやかな風。きっと77年前も同じような情景ではなかったかと思います。しかし、この中を「必死」の覚悟を持って飛び立っていく隊員と見送る仲間の心境は想像できません。自分として、また、親の立場として思い描いても耐えられないものでした。
靖国神社に隣接する遊就館にも同様の展示があり、何度か拝観をしてきましたが、決心し、飛び立っていった現地にいるというのは、また違った心持ちになりました。
隣接するグランドでは、高校生と思われる人達がソフトボールの試合をしていました。
この年代の人達が、この場所から日本のために命を懸けて飛び立っていったことを重ねて見ていました。
倫理法人会で、「過去に起きた事実は変えられないが、価値は変えられる」と学びました。
命を捨てて日本のためにお役を果たされた方々を考えると、過去の事実の価値を高めるために現代の私ができることは、エイチ・スマイルとしても、個人としても、少しでも出会うすべての方々の役に立てるように努めていかなければいけないと感じました。